NEVERTHELESS MISSIONS

希望が見えないとき、どうすればいい?

暗闇の中にいるあなたへ、小さな光を見つけるヒント

毎日が辛い。何をしても楽しくない。未来に希望が持てない。

そんな気持ちになることは、誰にでもあります。あなただけではありません。そして、その気持ちを抱いていることは、決して恥ずかしいことではありません。

このページでは、希望が見えなくなったとき、どうすれば少しでも前を向けるか、いくつかのヒントをお伝えします。

希望が見えないのは、あなただけではない

聖書には、絶望の中にいた多くの人々の物語が記されています。病気で苦しむ人、社会から見捨てられた人、人生に迷っている人。

そうした人々に、イエスは寄り添い、こう語りかけました。

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」
― マタイの福音書 11章28節

これは、「頑張れ」というメッセージではありません。「疲れているなら、休んでいい。重荷を下ろしていい」という招きです。

今、あなたが感じている辛さ、悲しみ、絶望。それらを否定する必要はありません。イエスは、そのままのあなたを受け入れてくださいます。

あなたは一人ではない

希望が見えないとき、まるで自分だけが暗闇の中にいるように感じることがあります。でも、実は多くの人が同じような経験をしています。

そして何より、イエスはこう約束されました。

「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます」
― マタイの福音書 28章20節

たとえ周りに誰もいないように感じても、あなたは一人ではありません。イエスは、あなたと共にいてくださいます。

声に出して祈ってみる

祈りとは、難しいものではありません。心の中で、あるいは声に出して、正直な気持ちを語ることです。

「助けてください」
「辛いです」
「希望が見えません」

そんなシンプルな言葉でいいのです。完璧な祈りの言葉を知らなくても、イエスはあなたの心を理解してくださいます。

イエスが教える希望の見つけ方

イエスは、弟子たちや周りの人々に、希望を持つための大切なことを教えました。

今日という日を生きる

イエスはこう言われました。

「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」
― マタイの福音書 6章34節

未来の不安で心がいっぱいになるとき、まず「今日」に目を向けてみてください。今日一日を生きること。それだけで十分なのです。

小さなものに目を向ける

イエスは、野の花や空の鳥を指して、「神はこれらを養っておられる」と語りました。そして、「あなたは、それらよりもはるかに価値がある」と。

希望が見えないとき、大きな奇跡を求めてしまいがちです。でも、朝日が昇ること、温かい食事、誰かの笑顔。そうした小さなことの中にも、希望の光は隠れています。

愛されている存在であること

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」
― イザヤ書 43章4節

あなたは、何かを成し遂げたから価値があるのではありません。あなたという存在そのものが、愛されるために創られた、かけがえのないものなのです。

暗闇の中でも、光は消えない

聖書には、こんな言葉があります。

「光は闇の中に輝いている。そして、闇はこれに打ち勝たなかった」
― ヨハネの福音書 1章5節

どんなに深い闇の中にいても、光は必ず存在しています。今は見えないかもしれません。でも、光は消えていないのです。

時間をかけることを恐れない

イエスの弟子たちも、すぐに希望を見出したわけではありませんでした。疑い、恐れ、迷いながら、少しずつ理解を深めていきました。

あなたも、焦る必要はありません。ゆっくりと、一歩ずつ進んでいけばいいのです。イエスは、あなたが歩むペースに合わせて、共に歩んでくださいます。

今、苦しんでいるあなたへ

・あなたは愛されています

・あなたには価値があります

・あなたは一人ではありません

・イエスは、あなたと共におられます

・希望は、必ずあります

イエスと出会った人々の物語

聖書には、辛い状況の中でイエスと出会い、希望を見出した人々の物語がたくさん記されています。その中から、二つの物語をご紹介します。

愛する人を亡くした姉妹の話

マリアとマルタという二人の姉妹がいました。彼女たちの大切な兄弟が病気で亡くなってしまったのです。

イエスが訪ねてきたとき、姉のマルタは悲しみと悔しさをぶつけました。「もっと早く来てくれていたら、兄弟は死ななかったのに」と。

そのとき、イエスは何と言ったでしょうか。叱ったり、説教したりしたでしょうか?

いいえ、イエスは彼女たちと一緒に泣いたのです。そして、優しく語りかけました。「わたしは復活であり、いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです」

ここから分かることは、イエスは私たちが悲しいとき、一緒に悲しんでくださるということ。そして、その悲しみの先に、希望があることを教えてくださるのです。

嵐に遭った人々の話

ある日、イエスの弟子たちが舟で湖を渡っていました。すると突然、激しい嵐が襲ってきたのです。舟は今にも沈みそうになり、弟子たちはパニックになりました。

「もうダメだ!死んでしまう!」そう思った彼らは、舟で眠っていたイエスを起こして叫びました。「助けてください!」

イエスは立ち上がり、嵐に向かってこう言いました。「静まれ」

するとどうでしょう。激しかった風も波も、ピタリと止まったのです。

「なぜ怖がるのですか。信じなさい」
― マルコの福音書 4章40節

私たちの人生にも、嵐のような時があります。どうしていいか分からない、もうダメだと思う瞬間が。でも、イエスに「助けてください」と呼びかけることができます。イエスは、あなたの人生の嵐の中でも、共にいてくださるのです。

希望への招き

イエスは、すべての人を招いておられます。完璧な人だけではなく、傷ついた人、疲れた人、希望を失った人を。

「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに得るためです」
― ヨハネの福音書 10章10節

イエスが約束されるのは、問題のない人生ではありません。でも、どんな状況の中でも、あなたと共に歩み、あなたに平安と希望を与えてくださる存在がいるということです。

信仰を持つということ

信仰とは、難しい教義を理解することではありません。イエスに向かって、正直に「助けてください」と呼びかけることから始まります。

完璧である必要はありません。疑いがあってもいいのです。イエスは、そのままのあなたを受け入れてくださいます。

今日からできること

・心の中で、イエスに語りかけてみる

・聖書を読んでみる(福音書がおすすめです)

・教会を訪れてみる

・私たちに相談してみる

どんな小さな一歩でも構いません。その一歩が、新しい希望への扉を開くかもしれません。

一人で悩まないでください

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あなたの心に、小さな光が灯りますように。
そして、あなたが一人ではないことを、心から願っています。